昨今、「人生が面白くない」「生きている意味が分からない」といった悲観的な悩みを持つ若者が増えているように思います。
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先日も、20代前半の人から「私は完全な落ちこぼれで、お先真っ暗です。私はこれから一体どうしたらいいのでしょう?」みたいな相談を受けたところです。

傍から見たら、若いということはいろんな可能性があって素晴らしいなと思いますし、自由に何でもできそうな世の中ですが、なかなかそうもいかないようです。

なぜそのように悲観的に考えるのか理由を尋ねてみると、彼らからは概ね、こういった答えが返ってきます 

「友達はみんないい会社に入ったのに自分だけは・・」「みんな将来の夢を持っているのに、自分だけ特技もなくて・・」みたいな。

そこには共通点があります。それは、「みんなは〜なのに・・自分は〜」という言葉が出てくることです。
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「みんなは〜」という言葉が出てくるということは、つまり、他人を基準として自己評価しているのだということがいえると思います。

そのように他人と基準としてある対象物を評価をするという風潮は、ここ10年で一気に広がったように思います。

街中を少し歩いても、食事処が数字で評価されていたり従業員が数字で評価されるアンケートが置いてあったり・・

もちろん昔から成績評価などで他者と比較する場面などいろいろありました。しかし、現代は、それがエスカレートし、他者と比べて数値的評価がなされる場面が格段に多くなったと思います。

そういった、数字で他者と比べて評価が決まる風潮は、競争力を高めるなど良い面もあるのですが、いささか問題もはらんでいるのないかと思います。

なぜ問題かというと、他人の成績をまず見て自分の評価を決めるという考えでは、人生の主人公は、既に自分自身でなくなってしまっているからです。

本来、人生とは自分が主人公であるからその物語が輝くものです。他者がどう言おうと、自分で考えたオリジナルなストーリーで人生を切り開くことで、幸福感が生まれてくるのです。

しかし、現代の社会は、他人がつくったストーリーが既にあり、それにいかに正確に演じるかが重要視されすぎているような気がします。

演じるものはその脚本通りに演じ、ミスをしたら減点され、それも数字として評価されます。そんな物語が面白いわけないのです。


そこでは「他人に迷惑をかけないようにどうすればいいか」「嫌われないようにするにはどう行動すればいいか?」という心理が働いてしまうからです。

本来、人生の主人公は自分であり、そのストーリーも自分で決めるべきです。

それができにくくなった社会においてそこからは各々がものの捉え方に工夫をしなければ「幸福感」というものをなかなか生まれにくいと思います。

「他人のつくったストーリー」を演じることばかりを考えていては、結果的に、「無難に行動するのがよいか」となり、人間は極力、自分が目立たないように自分を押し殺すように行動するようになります。

他人の顔色をうかがいながら物事を決めていくような人生が面白くなるはずがないのです。

本来、幸福感とは、他人と同じ画一的なものをつくることによってもたらされるものでもありません。

自分自身でオリジナルなストーリーをつくりあげる自分で演じることからもたらされるのです。

ですから、他者から何かを学んでとりいれる謙虚な姿勢は持ちつつも、他者と比べた自分がどうだといった考えはあまり持たないほうがよいと私は思います。

他人が「君の仕事は5点満点中1点だよ。○○さんの足元にも及ばないね」と言ってきたとしても、「へ〜そのように考える人もいるんだ〜。まあ、考えるのは自由ですしOKですよ」程度に考えておいたらいいと思います

他人がどう言おうが、どう評価してこようが、人生の主人公は自分であるべきなのです。


社会には人間関係のトラブルほか、さまざまな問題もありますが喜びと感動にも満ちています
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人生にはさまざまな出来事があります。時には努力を重ねたとしても思い通りの結果が伴わないといったこともあるでしょう。ただ長いスパンで見たとき、その結果だからこそかえって良かったということも少なくないものです。私たちは人生に与えられた試練を通して試行錯誤しながら魂を磨き成長していくことができればよいものです。やってくるさまざまな出来事のなかに、ひとつでも多くの感動を探しながら喜びを味わっていくこと、そして他者に優しさや希望の光を与え自他ともに幸せになっていくこと。それが生きる意味であると思います。
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