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 人間はひとりで生きていくことはできません。

いろいろな支え合いのなかで生活を営み、交流していくなかでいろんな人生の楽しみごとを見出していくことができます。
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 ですから、学校や会社、サークルなどでは人同士の交流も重視されているわけですが、そういった他人との交流の場に出ていくことに恐怖を感じる人も少なくありません。

 いくら気の合う仲間がいる場所であっても、他人と会ってともに時間を過ごすにはエネルギーがいるものですから。

 なぜそんなに恐怖を感じてしまうかというと、自分に自信が持てていない部分があるからではないかと思います。

 何らかのコンプレックスがあり、自分自身を低く自己評価しているところがあるのです。

 自信が持てない状態であると

「自分なんかと一緒にいても誰も楽しくないだろう」
「こんな無能な自分を受け入れてくれる人などいないだろう」

などと考えてしまい、恐怖で頭がいっぱいになってしまうというわけです。
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 一方で、世間には、ひとりでいるよりも誰かと一緒にいることを好み、居心地の良さを感じている人もたくさんいます。

そういった人は、積極的に交流の場に出ていきますし、その日が来るのを楽しみにしています。私の感覚では、割合としてはそういった人が圧倒的に多いように思います。

 要は「自分は自分、他人は他人」なのです。自分にとって、交流会は恐怖でしかなくても、それが楽しみで仕方ない人がたくさんいるのです。

 ですから、交流会や飲み会に行くのが怖くて仕方ないとき、「気が重い・・」とネガティブに考えてしまうのではなく、「楽しみにしている人がいる」と考えるのがよいと思います。


 自分がその交流の場に行って気まずい時間を過ごすリスクばかり考えると、恐怖が募るばかりです。

 そんなときは、考える対象を「自分自身」から「他者」に変えて考えるのです。「交流会を楽しみにしている。そんな人々のために自分は何をできるだろうか?」と考えるのです。

 そうしたら、前向きな考えがいろいろわいてきます。

例えば、笑顔でうなずいて他人の話を聞くだけでも、その話し手は心地よさを感じるのではないでしょうか。それだけでも、その場に存在する意味があるはずなのです。

 また その場に出かけることで、大切な人と巡りあう可能性もあるわけですし、仕事の話が舞い込むかもしれないのです。

そんな機会を、起こるか分からないリスクに必要以上に怯えて逃してしまうのは惜しいことです。


人生にはさまざまな試練があります。努力をしても思い通りにいかないこともあるでしょう。
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ただ、そこで感じる心の悩みは、視点を少し変えるだけで解消してしまうこともあるものです。 長いスパンで見たとき、その結果だからこそかえって良かったということも少なくないものです。私たちは人生に与えられた試練を通して試行錯誤しながら魂を磨き成長していくことができればよいものです。やってくるさまざまな出来事のなかに、ひとつでも多くの感動を探しながら喜びを味わっていくこと、そして他者に優しさや希望の光を与え自他ともに幸せになっていくこと。それが生きる意味であると思います。
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