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 他人と交流するとき、自分の格好悪いところや能力のなさを知られたくない・・と極度に怯えている人はおられませんか?
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 他者と交流するのにはエネルギーがいりますし、その気持ちもわかるのですが、自身の欠点を知られることを過度に不安に感じる必要はないと思います。

なぜなら、他人が考えることと自分自身が考えていることが一致するとは限らないからです。

「私は○○な部分が足りないダメな人間なんだ」と自身が思う自分の欠点を卑下していても、他人からするとその欠点があまり気にならないどころか、むしろ好感を持つ要素になりうる場合もあるからです。

 例えば、「私は話下手だから皆に迷惑をかけるだけだ・・」と不安に思っている人がいるとします。

本人からすると、話下手である自分に自信がなく、その欠点を他者に知られることで失望されるかもしれないという心理がはたらいているわけです。

 しかし、他者の心理からすると、「あいつは話下手で煙たいな」とはあまり感じないかもしれません。

なかには「物足りないな」と思う人もいるかもしれませんが、むしろ歓迎されるケースが多いのではないでしょうか。

なぜなら、話下手であることを自覚して慎ましい態度をとっている人は、周囲からすると初々しく映り、かわいいと感じられるからです。
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「自分の欠点が他者に知られてしまうと、他者は失望して離れていくのではないか?」という恐怖は感じる必要がないのです。

なぜなら、自分と他人が考えていることは必ずしも一致しないからです。

他者と交流するときに、自分を卑下して欠点を隠そうとする心理をはたらかせすぎると、人間同士にある壁がとれませんし、表面的な付き合いしかできなくなってしまいます。

それはせっかくの人生を台無しにしてしまうといっても過言ではありません。

自分は自分、他人は他人。考え方や価値観もそれぞれ違うわけです。だから、もっと気楽に接してよいものだと思います。


人生にはさまざまな試練があります。努力をしても思い通りにいかないこともあるでしょう。
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ただ、そこで感じる心の悩みは、視点を少し変えるだけで解消してしまうこともあるものです。 長いスパンで見たとき、その結果だからこそかえって良かったということも少なくないものです。私たちは人生に与えられた試練を通して試行錯誤しながら魂を磨き成長していくことができればよいものです。やってくるさまざまな出来事のなかに、ひとつでも多くの感動を探しながら喜びを味わっていくこと、そして他者に優しさや希望の光を与え自他ともに幸せになっていくこと。それが生きる意味であると思います。
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