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真面目すぎる人は、普通ならば気にしないようなことも、とことん気になってしまいます。
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何事もプライベートも几帳面に完璧にこなさなければならないといけないと考えてしまうからです。

ですから、真面目すぎる人は、規律や規則から少しでもはみ出ていることも絶対に許すことができません。

それが自分の話だけならまだいいのですが、厄介なのは、その感覚は他人と接したときにも同じように感じてしまうことです。

周囲を見渡すと他人の粗がいろいろ見えてしまい「あいつのここが悪い」「あ、あの人はまた適当な作業をした」など気になって気になって仕方なくなるのです。

そして、ついつい周囲に注意してしまうわけです。

すると周囲の人間からすると「堅物でとっつきにくい」「面白みのない奴だ」などとレッテルを貼られ、嫌悪されてだんだん避けられるようになってしまいます。

確かに真面目すぎることは良い面がたくさんあり立派な才能だと思います。

ミスを未然に防ぎますし物事を積み上げて大きな成果に結びつけていく根源的要素だからです。

しかし、あまりに真面目の度合いが過ぎると、周囲の人間との摩擦が加速することはもちろんのこと、仕事の効率も低下してしまいます。
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例えば、書類の間違いをチェックするにしても、真面目すぎる人は何度も何度もチェックしてしまいます。

もしミスでもしようものならば、自分の人生そのものを否定されるようにさえ感じてしまうからです。

確かにその作業でミスが発見できれば良いのですが、会社全体としてこなすべき仕事内容を考えたとき、再三にわたる書類チェックよりも優先してすべきことが他にあるかもしれません。

しかし、真面目すぎる人はそういった全体像が全く見えず、手元にある作業を端から端までまるで定規ではかるように細かくこなしていくことしかできません。

真面目すぎる人によくありがちなこととして、自宅を出たあと家に何度も戻ってしまうという話もよく耳にします。

自宅から会社に向かう途中に、「カギを閉めたかな?」「ガスの元栓きったかな」など気になって気になって仕方なくなり、念のために自宅に戻って確認作業をしてしまうのです。

もちろん自宅を出る前に1度チェックはしているものの「もし万が一勘違いだったら」と思うと気が気でなくなり再三にわたるチェックをしなければ気が済まなくなるというのです。


そのように、結果的にひとつの作業をするだけで真面目すぎる人は心身共に疲れてしまいます。

それが重なっていくと、ストレスとなって蓄積されていき心身をむしばんでいくということにもつながっていきます。
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なぜ真面目すぎる人はそのような心理状態になるのでしょうか?

それは全体が見えていないため、心にゆとりがないからです。

カメラに例えれば、焦点が狭い部分にピントが合っていて、全体を俯瞰できていない状態なのです。
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狭いエリアだけは極めて鮮明に見えているのですが、その代わり、その周囲はぼやけてしか見えていないのです。

ですから、全体の構図が分からないまま、見えている部分だけを頼りに黙々と作業をこなしていくわけですから、不安と緊張に終始苛まれているという状態になってしまうのです。

ですから、真面目すぎる人は、ズームレンズのように、時々は大雑把になってもいいから全体を見渡す意識を持つほうがよいかもしれません。

仕事で作業をするにしても、いきなり完璧を目指そうとするよりも、まずは大まかに全体作業をした上で、次は細かいところにクローズアップしてミスがないか間違いがないかを精査していけばよいと思うのです。

そうすることで心にもゆとりができますし、全体が把握できるため無駄な時間が縮小されます。結果的に作業の効率も高まっていくと思うのです。


人生にはさまざまな試練があります。努力をしても思い通りにいかないこともあるでしょう。
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ただ、そこで感じる心の悩みは、視点を少し変えるだけで解消してしまうこともあるものです。 長いスパンで見たとき、その結果だからこそかえって良かったということも少なくないものです。私たちは人生に与えられた試練を通して試行錯誤しながら魂を磨き成長していくことができればよいものです。やってくるさまざまな出来事のなかに、ひとつでも多くの感動を探しながら喜びを味わっていくこと、そして他者に優しさや希望の光を与え自他ともに幸せになっていくこと。それが生きる意味であると思います。
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